樹遷さんからのメッセージ

        
  いのちひとつらなり

『寛容』の風景

 ハワイイ諸島は、地球上でどの大陸からも、もっともはなれた地点にある。
そうした地理的独立条件に関わらず、否、その条件ゆえにこそ、この島々は、
いのちの風景の流動性、循環、融合、寛容性などに気付かされる場所でもある。

 太平洋のど真ん中に北西から南東にかけ、飛び石のように点在するハワイイ諸島
の各島は、それぞれに個性に富み、地質的『輪廻』を見せている。

 それらの島の中でも、もっとも年若く、いまだに大地を生み広げ続けているハワイイ島は
地球上にある12の気候帯のうちの11の気候までをも有し、多様性に富んだ豊かな自然に
恵まれている。

 ハワイイ島を訪れた人は一様に、その自然も豊かさに包まれ感動する。


 しかし、ハワイイの自然を賞賛する人々の目に映っているこの島の生命層の多くは、
この島の固有種ではない。むしろ人間も含め、多くの植物、動物、昆虫、更には、微生物までが、

この太平洋の真ん中に孤立した島に『入植』した、外来生物なのである。


それらをもたらしたのは、4つのWだとハワイイの人は言う。
潮流(Water)
風(Wind)
そして鳥(Wing)。

確かに、東アジアで季節風によって巻き上げられた種子が、ジェットストリームに乗って
運ばれていることは既にわかっている。
また、渡り鳥が種子を運んではるばるこの孤島まで飛来する事も知られている。
潮流によってハワイイ諸島の浜辺に運ばれた流木に潜り込んでいた甲虫の類が、
今日でも「発見」される事もある。

もう一つのWは?
とハワイイアンの血を引く友人に訪ねてみた。

4つ目のWは、WisdomのWだよ。
この大洋の中に孤立した島々までやって来た人々の叡智だよ。
と返事が返ってきた。


はっきりした年代は分からぬものの、幾度にもわたって、ポリネシアの島々、タヒチなどから
現在のネイティブ・ハワイイアンの祖先たちは、星に導かれて、
この島々に入植してきたことは知られている。
この入植者たちが、様々なそれまでハワイイ諸島には存在しなかった生物を
運び込んだ事は疑いない事実だろう。
例えば、今ではハワイイ諸島の風景になくてはならぬ、殆どの絵葉書の背景に載っているココヤシは
本来インドネシアの島々が原産地である。
潮流で流れ着いたものもあろうが、現在各地に見られるココヤシの林を形成したのは
入植者たちによる植え付けが行われたからであろう。

因みに、ハワイイの島々に、最初のヨーロッパ人が到着した頃には、既に27種類もの換金作物が
島々に育っていたと言う報告がある。
一部を上げてみよう。
サツマイモ、サトウキビ、竹、ココヤシ、クズウコン、ヤムイモ、バナナ、ターメリック、ショウガ、パンノキ、桑
ヒョウタン、ハイビスカス、ククイの木などなど。どれもハワイイ固有種ではない。
全て、インド、東南アジア、インドネシア、南北アメリカ、アフリカから持ち込まれたものである。

ポリネシア人たちの航海能力は非常に優れたものであったが、
彼らがインドやアフリカまで航海をしたと言うことは考えられない。
現在の研究では、これらは1400年代前半(ヨーロッパ人による『大航海時代』の始まる約1世紀も以前)に、
明代の中国人によって行われた、大航海と入植によってもたらされた事がわかってきている。



この世界史の常識を大きく塗り替える事実も驚異だが、
今、われわれが眼にするハワイイの自然はこうして形作られている。
無論、近代に行われた大規模移民受け入れにより持ち込まれた多くの外来生物もある。
日系人の家の周囲には、つつじが咲き乱れ、椿やあじさいが植えられている。

一方、ハワイイ島に顕著なように、新たな大地を生み出し続ける火山活動は、
森を焼き尽くし、不毛の溶岩原に変えてしまう。
もっとも、溶岩は多様なミネラルに富み、水のフィルターとしても優れ、
島の各地に豊かな泉をもたらすものでもある。

更に、人の営みも、この島の固有種を絶滅に追い込み
この島の生命層を変えてしまってもいる。
ハワイイの王族のまとうマントを飾る為に、固有種の鳥の幾種から乱獲され、
絶滅に追い込まれたのは、その一例である。

にも拘らず、今目前には、ハワイイ島の豊かな自然が広がっている。


その風景を見る度に、今日しきりに叫ばれる『自然保護』に思いを致す事になる。


現在、自然保護を語る時、在来種の保護、外来種の排除、
固有種による自然林の回復、人間による自然の管理、保全などの用語が並べられる。


産業革命に始まり、現代を特徴付ける大量生産、大量消費による自然破壊は、
温暖化による異常気象として、もはや待ったなしの状況まで来ている。
この状況の中で、自然保護が声高に叫ばれる中、何らかの違和感と危惧を抱いているのは
私だけであろうか。


多くの外来種によって成り立ち、度重なる火山による自然生態系の破壊と再生を繰り返している
このハワイイ島の風景を見るにつけ、現在進行している自然環境保護に関する論議、社会的コンセンサス
の息苦しさとは対照的な様々ないのちの『寛容』さを感じるのである。


あるとき、ネイティブ・ハワイイアンの友人たちと、かつてハワイイの人々にとって
尊祟の対象であったヘイアウ(神社)のあった地の清掃を行っていた時、何とも言えぬ
懐かしさを感じた私は、「まるで、故郷の神社にいるような気がする」とつぶやいた所、
傍らに居たハワイイアンの友人の一人が、「何をもってハワイイアンだと言う?」と問い返してきた。

唐突な問いに、考えていると、周りにいるメンバーを指差しながら、「彼はフィリピン系、彼は中国系、私は4分の1
白人系が入っている。でも、皆ハワイイアンさ。もし、君がここをふるさとと感じるなら、君もハワイイアンさ。」



自然を謙虚に見つめる時、いのちひとつらなりの寛容な風景が見えてくる。
そこに、在来種も、外来種も、排除や管理の論理は無い。
ましてや、経済的観点からの人間本位の考えも無い。
また、人間の一方向的思い入れの自然の擬人化も無い。


いのちはひとつらなり。

個々の多様性を持つが故に、流動的、融合的、そして大らかな自立性と
したたかでしなやかな寛容性によって成り立っている。

ネルギーを飲み尽くして、身の丈以上の欲望を充足させようとする行為は
もはや自滅の道しかない。
一方、人間は、自分の身の丈を自然に押し付けようとするのではなく、自らの身の丈をはるかに越えた
自然の営み、いのちひとつらなりの風景の1点景である謙虚さを
もう一度取り戻す時を迎えている。

2007年11月
                ハワイイ島、ホナウナウの浜辺にて
                                   樹遷