樹遷恩師と樹伯そして樹信、三者三様の念いの中での再会

 去る11月末、樹林気功の昔のお仲間、石川県から森要作さんの来県で、懐かしい時を過ごしました。森さんは私と同期くらいの樹林気功のお仲間。共に恩師より学んだ仲。10数年ぶりの今田氏との再会を願って、三重にお越し下さいました。
今、石川県で唯一の、登校拒否や、ニートと言われるようなドロップアウト気味の若者たちのサポートをしているNPOを運営されています。

 人育ては大変時間のかかる、愛と眼差しと時間の経過と忍耐とタイミングと・・・・という世界。今田氏がそうされて生きて来られた道を、森さんも、私も、それぞれの自分の力量に応じた範囲ではありますが、進ませて頂いていると念います。
 今回もいろいろなお話しを聞かせていただきました。いろんな、日々の疑問や思う事、ぶつけてみました。森さんも、長い間の歩みを経て、今、師の前で自分の成長を謙虚に報告されています。こういう師と弟子の関係、『いいな〜』としみじみ。
 今田氏の時間軸は普通の学校教育や世の習い事の世界とはかけ離れたものです。私なども、20代で今田氏に学び、その後ぱったりご縁が遠のいてのある日、10数年ぶりの今田氏からの連絡に、大変驚かされたことを思い出します。そしてその後の経過を経、今このような再会の機会を頂いています。
 樹林気功を通じて、命の風景を学び深めて行こうとした時から、今までの流れの中で、このタイミングという折々に、今田氏は現れ、次のステップへと窓を開いていってくださいます。この間、独立守神について随分深めさせて頂いたように思い返します。誰かに頼らず、神に頼らず仏に頼らず、、、薬に頼らず、気功に頼らず、自分自身によって立つ。その立つ姿を、『これでよろしいですか?』と謙虚に聞く。自分自身の中の神に尋ねる。これは随分と孤独な作業ではあります。何故なら、人は自身が深まれば深まるほどに見えてくる世界が広がるからです。そして、真理ともいうべき世界が垣間見えてくること。そこに向かい、自分自身の在り方を問いただしていかなくてはなりません。
 師は、フランス在住の若かりし頃、ご自身の医者の世界の師と仰がれる方から、『無名たれ』と教えられたそうです。傲慢にならぬよう、無名たれと。今田氏は世界的に知る人ぞ知る存在の方です。しかしあくまでも自然体で、感謝の言葉と常に共にあり、一見温和な普通の人。しかし、醸し出す香しい存在感は高貴さを纏います。こんな稀有な方、見たことありません。
 その樹林気功の提唱者、今田氏がおっしゃるんです。『その人の傍にいるだけで、ほっとする、幸せな気持ちになる・・・そんな人になりたいですね。それが樹林気功の行きつく世界ですよ』と。だから、いつもお伝えしているように、健康を真ん中に置いて、気功を見ちゃだめなんですね。何を念って生きているか、それが大事なんですね。

 今田氏は全国、世界各地で樹林気功のお伝えをされてきました。その中で、随分と見当はずれの人たちに出会ってきたとおっしゃっています。一度だけのご縁で、『我が師今田氏は〜』とかホントに今田氏そんなこと言ってるか????のような、『樹林気功は木から気をもらうんです』だとか、『僕、私、今田さんの事よく知ってるんですよ〜。誰々さんも、あの人もこの有名な人も、僕、私、良く知ってるんですよ〜』『私は特別なんです!』とか・・・・。
 私は人生で、この師とのご縁で十分以上の物を学ばせて頂いていますから、沢山の立派で名をはせておられる方々に会いたいと思いません。それだけの力量も持合わせていませんし。で、どうでしょう。こんな風に我が師!とか、特別とか、搾取だとかそういうものの考え方って、あえて言わせてもらいますが、大変陳腐。
私はそんなふうに生きることはこれからも決して無いでしょう。

 ここで、改めて27年樹林気功に関わらせて頂き、お伝えをさせて頂いて来ました樹信は、今田氏にお出会いさせて頂いたこのご縁に感謝です。
           初冬の霧山城にて。樹遷恩師。
 
森さんも、今回樹名を頂きました。樹伯。いい名です。トップへ